食物アレルギーについて、ハウス食品グループがお伝えしたいこと ひとつのお鍋で、家族をひとつに。

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赤城智美さんコラム

食物アレルギーについて、赤城さんご自身の経験をもとにさまざまなエピソードをご紹介します。

コラム Vol.41
親子の旅の記憶

もう20年以上前のことになりますが、私が宿泊を伴う出張をする時は、可能な限り子どもと一緒に出掛けていました。食物アレルギーがあり少量でも原因食物を食べると呼吸困難を起こす子どもを時間外で預かってくれる保育所がなく、親類縁者も近隣にいなかったので、誰にも子どもを託すことができなかったということが大きな理由でした。そうした出張は子どもが小学2年生の頃まで、年に数回あったと思います。

当時の子どものアレルゲンは、卵、乳成分、小麦だったのですが、他にも青背の魚を食べるとじんましんが出る時期がありました。同じ時期にはヒスタミンにも強く反応し、トマトや干物でも症状が出ることがありました。
そのため出張の時の食事は大変で、外食できる場所が見当たらない時は、開店間もなく客がほとんどいない夕方5時頃の居酒屋に入り、事情を話して子どもと共に食事をさせてもらうことが度々ありました。
もろキュウ、焼きししゃも、梅干しのおにぎり、冷ややっこ、わかめと玉ねぎの味噌汁など、自宅と同じような食事ができることが、とてもありがたかったことを思い出します。

少し余裕のある時はうなぎ屋さんに入っていました。今思い出してみると、メニューから何かを選ぶというよりは、事前に食べられるものがあることを予測してお店に入るので、外食には十分な気合と忍耐、そして交渉する力が必要だったと思います。「子連れで居酒屋に行く」ことの是非を人から問われたこともありましたが、当時はそれ以外の選択肢がなかったので、一生懸命自分を鼓舞していたような気がします。

私はアルコールがまったく飲めないのですが、私たちのような子連れの客を受け入れてくれたお店に少しでも多く支払えるように、子どもが食べることができるマグロやいかの刺身も注文し、テーブルに置いたままでしたが、ビールも必ず頼むようにしていました。
小さなお皿に色々なものが少しずつ盛り付けられていることが多かったので、子どもはごちそうを食べたと勘違いしているようでした。そのため母親の必死さとは裏腹に、子どもはちょっと楽しい出来事だと思っているようでした。

プライベートな時間に一緒に旅行できたことは一度もないまま子どもは成長してしまったので、今となっては一緒に行った出張が、私たち親子にとって大切な旅の記憶になりました。

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