食物アレルギーについて、ハウス食品グループがお伝えしたいこと ひとつのお鍋で、家族をひとつに。

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赤城智美さんコラム

食物アレルギーについて、赤城さんご自身の経験をもとにさまざまなエピソードをご紹介します。

コラム Vol.33
一緒に食べることと
うちとけること

地元の町ではお祭りの時、お神輿を担いだ子どもたちのため、保護者会で焼きそばを作ることが恒例行事でした。近くにいた親せきの子どもは卵アレルギーだったので、麺に卵が使われていたものを食べると、アレルギーを起こしてしまいます。当時の我が子は、麺を食べても大丈夫でしたが、麺に付いていた粉末ソースを使うと、何故か唇が腫れて息が苦しくなっていました。

学校行事の時は、卵が使われていない麺を仕入れたり、クラス全員分の塩焼きそばを作ったり、周りの人と話し合いながら工夫して乗り切ることもありました。しかし残念ながら地元の行事では、学校ほどの関係ができなかったので、お祭りで子どもたちがお神輿を担いだ後、私は保護者会の焼きそば作りに参加し、みんなが食べ始めたら私と親せき2組の親子は「お先に失礼します」と言ってその場を離れるようにしていました。家に帰ってから卵が使われていない麺で塩焼きそばを作り、4人で食べていました。当時は、親子ともども地域の交流に参加しつつ、子どもが安全に食事をするためには、この方法しかないと思い込んでいました。

子どもが成長し、保護者会で作った焼きそばが食べられるようになった時、子どもは近所の方から「やっと一緒に食べてくれたね」と言われたそうです。子どもは「うれしそうに言ってくれたからいいのだけど、食物アレルギーのことっていくら説明してもなかなか分かってもらえないよね・・・」とぼやいていました。

「一緒に食事をしなかったから、打ち解けない親子だって思われていたんじゃないかな?」というのが子どもの考えでした。「小さい頃は、こういう事があると悲しかったけれど、今はたいした事じゃないって思うようになったんだ」とも話してくれました。

もしも周りの人に「アレルギーで食べられない」と示す必要があったなら、私と親せき2組の親子は、みんなが焼きそばを食べている時に自分たちはお弁当を広げて、一緒に食べるというやり方もあったのかもしれません。当時は、お弁当を作って持って行くのは大変だし、炎天下で腐ってしまうかもとあれこれ考え、何よりも子どもたちの気持ちを優先して選んだ行動でした。

これしかないと思っていたことでも、時が経つと他にも選択肢があったようにも思えてきます。理解を得ること、分かり合うこと、打ち解けること。とても難しいことでしたが、子どもが成長してするっと乗り越えていく様子が、少しうれしくもありました。

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